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掛橋和泉

那須俊平の道場で武芸を学ぶ。吉村寅太郎と交流し、吉村が脱藩すると資金援助を行う。その後坂本龍馬、沢村惣之丞、那須信吾ら脱藩者が相次ぎ、家財を売却してまで資金援助を行う。自身も脱藩を考えたが親族に類が及ぶことを危惧して、28才で自殺。

維新の群像

梼原町にゆかりのある六志士に、坂本龍馬、沢村惣之蒸を併せた八人の銅像が建立されている。

中平龍之助

那須俊平の門人となり剣術修行をする。那須信吾と共に土佐勤王党に加盟。

那須信吾

幕末期の土佐藩の郷士。幼くして父を失ったため、郷士・那須俊平の娘婿となる。田中光顕の叔父にあたる。坂本龍馬に深く傾倒し、文久元年(1861年)に土佐勤王党に加わった。文久2年(1862年)には安岡嘉助や大石団蔵らと共に尊王を無視して藩政改革、佐幕を唱える吉田東洋を暗殺した上で脱藩し、長州藩に逃亡する。武勇に優れた怪力の持ち主で、走ることにおいては馬より速いとまで噂されたという。身長は六尺(約180cm)近くあり、「天狗様」と称されたという。

澤村惣之丞

幕末の土佐の人物。間崎哲馬に師事し、学問を学ぶ。その後土佐勤王党に加入した。吉村虎太郎と共に土佐藩を脱藩する。武市半平太への現状報告のため一時帰国するが、その後坂本龍馬らと再び脱藩している。勝海舟の門下生となり、海援隊に属す。維新の混乱から無人状態となった長崎奉行所に、沢村ら海援隊の人間が中心となって入居し、長崎の町を警備した。しかし1月14日の警備中、薩摩藩士・川端平助を誤殺してしまう。沢村は薩摩藩との軋轢を恐れ、海援隊本部で、薩摩藩関係者の制止にもかかわらず割腹した。享年26。

前田繁馬

一族の前田要蔵にしたがって京都で御所の守護にあたる。諸藩の尊攘派と天誅組に加わり26歳で戦死。

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