伊集院小伝次の墓
1712年に建てられた小伝次の墓
位置情報
詳細説明
小伝次は島津氏の家臣・伊集院忠倉の子として誕生しました。 早くから島津義久に仕え、筆頭家老として島津氏の政務を取り仕切りました。慶長4(1599)年の庄内の乱の時には、都城を本城とする12外城の一つとして、伊集院忠眞の弟小伝次が守り、忠眞の降伏まで落城せず、非常に堅固な城という事で有名です。しかし豊臣秀吉は、島津氏を降伏させると、島津義久の第一の家臣伊集院幸侃を人質として連れて行きました。 しかし、幸侃は謀反をくわだてたとして、18代家久に殺されてしまいました。幸侃の3人の子のうち、小伝次の弟の三郎五郎・千次郎も、その後、滝の下で殺されました。伊集院小伝次の墓のまたの呼び方として「こちどんの墓」とも呼んでいます。
