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平田靱負屋敷跡

木曽川治水工事の総奉行として世紀の大工事を指揮

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基本情報

鹿児島中央駅

位置情報

緯度: 31.591637
経度: 130.546010

詳細説明

平田靱負屋敷跡は鹿児島市の平之町で生まれました。平之町に生れた平田靱負は、初め宗武、後に正輔、通称も平蔵、兵十郎、掃部、靱負と改め、31歳で父正房の跡を継ぎ、しばらく江戸薩摩藩邸に勤めた後、伊作や大口の地頭、大目付を経て、最後は家老の職にありました。 1753年(宝暦3年)、徳川幕府は琉球との貿易によって財力を得ていた薩摩藩を恐れて、毎年氾濫による被害が多発していた木曽三川の分流工事を薩摩藩に命じる。工事費用は薩摩藩が全額負担、大工などの専門職人を一切雇ってはならないとし事で有名です。 苦難の末、見事工事を完成させた平田総奉行は、多大の犠牲への償いと予算超過の責任を取り、宝暦5年、美濃国大牧の本小屋で自刃しました。

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