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三島村の他のスポット
この市区町村をすべて見る硫黄島
薩南諸島北部に位置する島である。竹島、黒島とあわせ、上三島(鹿児島郡三島村)を構成する。
オンポ崎キャンプ場
オンポ崎キャンプ場には展望台がありおすすめのポイントです。こちらは島の最西端にあります。竹をモチーフにしたデザインの展望台からは新硫黄島を挟んで硫黄島が見えます。 天気が良ければ屋久島まで見わたせます。近くに雲母崎キャンプ場(オンボサキ)があり、キャンプ場下は釣りの絶好のポイントとなっておりますが、潮が速いので遊泳はできません。ちなみに鮫もいるそうです。 竹島はなだらかな丘陵地に放牧牛遊ぶ、竹の島。その名のとおり島全体をリュウキュウチク(大名竹)に覆われた、起伏の少ない平坦な島です。黒土の畑のほとんどには牧草が植えられ、緩やかな丘陵地に広がる一面の放牧場には、黒牛がのどかに草を食んでいます。このような自然あふれる空間で過ごす非日常感は竹島だけしか感じる事ができないといっても過言ではありません。
冒険ランドいおうじま
冒険ランドいおうじまは南の島における実体験を通じて、豊かな心とたくましさを養うことにより、青少年の健やかな育成を図るため、鹿児島市が三島村硫黄島に設置した青少年教育施設です。約2万平方メートルに渡り広大な芝生が広がり、 周りを雄大な山々が取り囲んでいる自然豊かな宿泊施設です。 冒険ランドいおうじまには木製デッキ、ツリーハウス、組み立てハウス、シャワー、炊事場も完備しています。冒険ランドいおうじまは鹿児島市を中心とした集団宿泊施設として活用されており、希望すれば、家族単位の宿泊も可能となっています。 硫黄島に存在するキャンプ場、「冒険ランドいおうじま」は、何故か鹿児島市教育委員会の運営する施設となっています。
有吉佐和子文学碑
有吉佐和子文学碑は作家である有吉佐和子が黒島を舞台にした小説「私は忘れない」を発表し、偲び、その題字を刻んだ碑が建てられています。有吉佐和子は日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くのベストセラー小説を発表しました。 昭和34年に有吉佐和子さんの朝日新聞連載小説「私は忘れない」が映画化されたことによって松竹映画の撮影ロケ班一行が20日間にわたり黒島に滞在してロケが行なわれました。そして島民多数が出演しました。これを記念して平成4年に「有吉佐和子文学顕彰碑」が建立されました。この映画を切欠に黒島の名を日本中に知らしめました。この小説が島に与えたインパクトは思いのほか大きなものです。
俊寛堂
硫黄島はその昔、流刑地として位置していました。 平安末期、源平の抗争の中で失脚した高僧、俊寛らが強制連行されてきた島としても知られています。 俊寛は村上源氏の出身で、京極御坊、白河御坊、鹿ケ谷などに多くの山荘を構えていたといいます。治承元年(1177年)、京都・鹿谷でめぐらした平家討伐の陰謀が漏れ、藤原成経、平康頼らとともに流されてきたのが鬼界ヶ島と呼ばれた硫黄島です。 成経と康頼は後に許され、島を去ってゆきましたが、俊寛だけは平清盛の怒りが解けず一人取り残されました。そして長浜川の上流に粗末な庵を結び、ひとり住んでいましたが2年後の1179年、失意のうちに37歳で亡くなりました。島の人たちはその生涯を哀れみ、俊寛が行き来した川原に墓を建て、のちに彼の住まいの跡に墓を移転し、俊寛堂として祀ってきました。今もお盆には俊寛を弔う送り火が焚かれます。
薩摩黒島の森林植物群落
薩摩黒島は,大隅諸島のうち薩摩半島と屋久島のほぼ中間に位置する三島村の一番西にある島です。 薩摩黒島の森林植物群落の対象は海岸部から山頂部までの照葉樹を中心とした森林植物群落と海岸からの植生の垂直分布地帯にあります。 指定地は本土山地系の植物、トカラ列島要素の植物、南方系植物などが混在した独特の植物相を持った貴重な森林植物群落が残された地域です。 黒島自体は全体を広葉樹の原生林に覆われており、独特な植物相の森林が残され、海岸線から山頂部までの植生の連続的変化が見られます。非日常感を感じたいのでしたら最適な場所です。山頂部を中心に約2kmの遊歩道があり、森林植物群落で自然豊かな環境の中トレッキングを楽しむことが可能です。
