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この市区町村をすべて見る西都原古墳群
宮崎県のほぼ中央に位置する西都市の市街地西方を南北に走る、標高70メートル程度の洪積層の丘陵上に形成されている日本最大級の古墳群である。
浄土寺
西都原古墳群
西都原古墳群は宮崎県のほぼ中央に位置する西都市の市街地西方を南北に走る、標高70メートル程度の洪積層の丘陵上に形成されている日本最大級の古墳群です。現在、高塚墳311基が現存し、その内訳は前方後円墳31基、方墳1基、円墳279基であるが、他に横穴墓が10基、南九州特有の地下式横穴墓が12基確認されています。大正元年から6年にかけて東京大学・京都大学などの考古学者・歴史学者で組織される調査団によって、我が国始めての本格的な古墳の調査が行われました。 県立西都原考古博物館、西都原古代生活体験館、古墳の内部を復元した鬼の窟古墳などの施設があります。 史跡内の「西都原考古博物館」はロマン溢れる古代日向の情報発信の拠点として、多くの見学客を迎え入れています。公園内は宮崎を代表する花の名所としても有名です。
常心塚古墳
常心塚古墳は宮崎県西都市上三財常心原にあります。墳丘は一部が損傷していますが主要部分は風雪を自然な形で耐えた状態でおおむね残っています。 西都市上三財字常心、三財中学校の西1kmほどの農地内にある古墳で、単独でポツンとあるので大変目立ちます。墳丘の規模は、三段構築された墳丘の一辺が24mで高さ6m。築造年代は、前方後円墳が作られなくなった7世紀前半代に推定されています。石室の石材が一部露出しており、その形状から埋葬施設は横穴式石室であることが推測されています。 穴式石室を内部主体とし、方形の墳丘と周濠、外堤をもつ石舞台型の後期古墳として、その類例が少ないことなどから貴重とされています。そのような背景もあって常心塚古墳は昭和55年3月24日国の史跡に指定されています。
国分尼寺跡
国分尼寺跡は、宮崎県西都市にある古代から近世の寺院跡です。宮崎市より北に約22km離れた西都(さいと)市は一ツ瀬川沿いにあり、ここに国分寺がありました。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、日向国国分寺の寺院跡にあたります。明治4年(1871年)に廃寺となりました。廃寺当時の宗派は真言宗、山号は五智山、本尊は五智如来。現在は国の史跡に指定されています。現在は有吉実知事(昭和5~6年)による文字が刻された石碑があるのみとなっています。国府や僧寺と出土のものと同時期の製作とみられる瓦が多数出土しているのが特徴です。 また、近くには西都原古墳群もあり、古代より食料生産に適した場所であったことがわかります。
都於郡城跡
都於郡城は現在の宮崎県西都市にあったとされる山城の事です。築城は1337年(建武4年)伊東祐持によります。またの別名を浮船城と呼んでいます。 城は高さ100mの丘陵に築かれた本城、周囲に支城(日隠城、東城、泉城、高城、向城)があり、その間を堀や池を巡らすという中世式城郭の典型的な様式でした。 なお本城から峰続きに1.3キロ東方に日隠城があり、大規模な城域を誇る威容は、西国でも有数のものです。 本城は本丸、二ノ丸、三ノ丸、奥ノ城、西ノ城といった五つの曲輪から成り立っています。1577年に伊東氏が島津氏により一時没落すると島津氏の支配下に入りました。1615年(元和元年)江戸幕府の一国一城令により、都於郡城は廃城となりました。
