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この市区町村をすべて見る津山城
城郭の形式は梯郭式平山城。津山盆地の中央部に位置する。城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要部を形成している。
作州城東屋敷
城東町並み保存地区
城東むかし町家
岡山県津山市東新町にある『城東むかし町家』は、元禄時代(江戸時代)に建てられた町家。茂藤籐右衛門が津山藩に命じられ、「藩札」の発行をしていたと伝えられており、江戸後期に建てられた主屋~昭和初期の西蔵まで様々な造りを見ることができる城東地区を代表する屋敷として大切に保存されている建築物。 全体的に質が高く風格ある屋敷は「母屋、洋館、裏座敷、西蔵、茶室、庭園」で構成。旧梶村家主屋であった建物は、広さ間口31.5m、奥行34m、1071平方メートル(約300坪)である。 主屋は江戸時代の終わり、西側の部屋は明治時代、北側の2階建ての建築物と洋館は大正時代など、時代にあわせた建築技術を率いた工夫などを各所に多く見ることができる。
箕作阮甫旧宅
衆楽園
津山藩二代目藩主、森長継が小堀遠州流の造園師を招いて築庭させた池泉回遊式の大名庭園で、京都の仙洞御所を模したものである。森家は途中で絶え、改易によって松平氏(越前松平家)が支配するようになり、同庭園は津山藩のご対面所などとして用いられた。その当時の敷地面積は約74,700平方メートル(東西約256m、南北292m)で、現在の3倍近くあった。なお、衆楽園の命名は明治3年で、それまでは特に名前は決まっていなかった。 庭園の大半を南北に長い池が占め、四つの島が施されている。北の中国山地を借景とし、北の池は東と北の築山に迫られるように置かれ、東側には全長210メートルの曲水が設けられている。その中には老松が茂り森閑たる様相を見せる。対して南側は、海に見立てられた池が雄大な景観を醸し出している。その周りに余芳閣、迎賓館、風月軒、清涼軒といった建築が復元されているが、庭石や灯籠といった人工物は少なく、あくまで自然と一体化させているのが同庭園の特色である。
