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この市区町村をすべて見る吉村虎太郎
幕末の土佐藩出身の志士。一般には「寅太郎」と記されることが多い。土佐勤王党に加盟。平野国臣らが画策する浪士蜂起計画(伏見義挙)に参加すべく脱藩するが、寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄される。釈放後、再び京都へ上り孝明天皇の大和行幸の先駆けとなるべく中山忠光を擁立して天誅組を組織して大和国で挙兵するが、八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍の攻撃を受け敗れて戦死した。(天誅組の変)
掛橋和泉
那須俊平の道場で武芸を学ぶ。吉村寅太郎と交流し、吉村が脱藩すると資金援助を行う。その後坂本龍馬、沢村惣之丞、那須信吾ら脱藩者が相次ぎ、家財を売却してまで資金援助を行う。自身も脱藩を考えたが親族に類が及ぶことを危惧して、28才で自殺。
維新の群像
梼原町にゆかりのある六志士に、坂本龍馬、沢村惣之蒸を併せた八人の銅像が建立されている。
中平龍之助
那須俊平の門人となり剣術修行をする。那須信吾と共に土佐勤王党に加盟。
那須信吾
幕末期の土佐藩の郷士。幼くして父を失ったため、郷士・那須俊平の娘婿となる。田中光顕の叔父にあたる。坂本龍馬に深く傾倒し、文久元年(1861年)に土佐勤王党に加わった。文久2年(1862年)には安岡嘉助や大石団蔵らと共に尊王を無視して藩政改革、佐幕を唱える吉田東洋を暗殺した上で脱藩し、長州藩に逃亡する。武勇に優れた怪力の持ち主で、走ることにおいては馬より速いとまで噂されたという。身長は六尺(約180cm)近くあり、「天狗様」と称されたという。
澤村惣之丞
幕末の土佐の人物。間崎哲馬に師事し、学問を学ぶ。その後土佐勤王党に加入した。吉村虎太郎と共に土佐藩を脱藩する。武市半平太への現状報告のため一時帰国するが、その後坂本龍馬らと再び脱藩している。勝海舟の門下生となり、海援隊に属す。維新の混乱から無人状態となった長崎奉行所に、沢村ら海援隊の人間が中心となって入居し、長崎の町を警備した。しかし1月14日の警備中、薩摩藩士・川端平助を誤殺してしまう。沢村は薩摩藩との軋轢を恐れ、海援隊本部で、薩摩藩関係者の制止にもかかわらず割腹した。享年26。
