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サラキ岬

サラキ岬は木古内の町から東側のところにある津軽海峡に少し突き出た岬がサラキ岬です。こちらは国道沿いの何もない荒涼とした場所にある岬ですが、ここは江戸幕府の軍艦咸臨丸が沖合で座礁沈没した事から、咸臨丸終焉記念碑や咸臨丸のモニュメントが建てられています。 咸臨丸とは1857年にオランダで完成した軍艦で、1860年には勝海舟や福沢諭吉などを乗せ日米修好通商条約の締結に向け太平洋を横断するなどの活躍をしましたが、戊辰戦争では物資運搬船となり1871年に仙台から小樽に向かう途中、暴風雨の為ここサラキ岬で座礁沈没しました。 咸臨丸がオランダで建造された事からサラキ岬には住民が協力してオランダチューリップ花園が作られ、毎年4月下旬~5月中旬の土日、祝日にはチューリップ祭りが開催されています。こちらの祭りでは約5万本の色とりどりのチューリップが咲き誇り、木古内町の観光名所となっています。

木古内の坊

木古内の坊は木古内の町の東側の海側に小さな公園があります。この公園に建つ石像が木古内の坊です。この木古内の坊とは1850年代後半から50年ほどこの木古内に実在した川又友吉という名の目の不自由な男の通称です。 彼は2人兄弟の長男として生まれましたが、父親と友吉は目が見えず、一家を支えていた母親も友吉が幼いうちに過労で倒れて亡くなってしまいました。当時の木古内はニシン漁で賑わっていたこともあり、友吉の一家は村の人たちがら食べ物を恵んでもらって生活を続けていましたが、それでは食べ盛りの食欲に追いつかず、父親は自分の食事も子供達に分け与える始末でした。 大きくなった友吉は父親と弟の食料を手に入れるため、遠くの町まで物乞いに出かけるようになりました。19歳になった友吉が函館まで物乞いに出かけた時、偶然出会った松田巡査から物乞いではなく付け木を売るようにアドバイスされ、友吉は木古内に戻って付け木を売るようになります。どこの家庭でも必要としていた事もあって友吉の売る付け木はよく売れました。しかも彼の身の上を聞いた人々は付け木を高値で買ってくれたり、食事をご馳走してくれたり泊めてくれたりもしました。 彼は親孝行者で恵んでもらった食べ物はその場では食べず、必ず持ち帰ってまず父親に食べさせました。彼は一家の大黒柱として雨の日も風の日も雪の夜もただ黙々と付け木を背負って売り歩きました。しかし付け木は一度購入すると簡単にはなくならない事もあって、友吉は次々と新しい土地に売ってまわらなければなりませんでした。 またこの地には地元に言い伝えられた坊にちなんで「孝行餅」という土産物もあります。父親に少しでもいいものを食べてもらおうと遠くまで付け木を売り歩いた木古内の坊の像を見ながら彼の生き様に触れてみるのもよいでしょう。

みそぎ浜

みそぎ浜は木古内の町の北西の外れ、薬師山の麓に佐女川神社があります。みそぎ浜と呼ばれる海岸沿いにある鳥居と展望台のある駐車場があります。 佐女川神社は1831年1月15日に「ご神体を潔めよ」とのお告げがあり、神主がご神体と共に極寒の海に入って身を清めました。その年から村の豊作豊漁が続いた事から毎年1月中旬に佐女川神社の境内とみそぎ浜で冷水を浴びる木古内町寒中みそぎ祭りが行われるようになりました。 このみそぎ浜は毎年1月15日になるとご神体を抱いた若者4人が極寒の津軽海峡に飛び込んで一年の豊作豊漁を祈願し、それにあわせてみそぎ広場では寒中みそぎフェスティバルが開催され御神酒や暖かい飲物、物産フェア、グルメフェア、はこだて和牛満喫フェアをはじめとした各種催し物が実施されます。 このみそぎ浜には展望台もあり、白い砂浜と津軽海峡、そして左手には函館山と天気がよければ龍飛岬まで見渡す事ができます。

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