関ヶ原古戦場 決戦地
戦いの決着がついた場所です。国の史跡になったのは、広い戦場のうちのごく一部でした。
位置情報
詳細説明
慶長5年(1600年)9月15日、美濃国の関ヶ原で、徳川家康を大将とする東軍と、石田三成を中心とする西軍が戦いました。西軍の総大将に立てられていたのはですが、その人は大坂城にいて、戦場には現れていません。 ここは旧関ケ原小学校の南にあたります。この付近で石田隊が破れ、戦いの決着がついたと伝えられる場所です。天下を分けた戦いは、その日のうちに終わりました。 1931年(昭和6年)3月30日、この決戦地と開戦地が国の史跡に指定されました。
知って使える知識
- 国が史跡に指定したとき、関ヶ原の戦場のうち指定されたのは平野の西の端だけでした。指定の文書には、戦場が関ヶ原平野のほぼ全域に及んで広すぎるうえ、市街地や工場、停車場がそのあいだに散らばっているため、開戦地と決戦地に限って指定した、と書かれています。
