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「新西国三十三箇所めぐり ─ 観音霊場33か所+客番5」の他のスポット
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四天王寺
大阪市天王寺区にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。 山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。 「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。 1400年前の推古天皇元年(593)、物部守屋と蘇我馬子の合戦に勝利したことを受けて、聖徳太子が四天王を安置するために建立したと伝えられる、日本初の本格的な仏教寺院。 その伽藍配置は大陸の影響を色濃く受けた「四天王寺式伽藍配置」といわれるもので、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式。 日本では最も古い建築様式のひとつだそうだ。 仏教の根本精神の実践の場として、中心伽藍の北には、仏法修行の道場である「敬田院」、病者に薬を施す「施薬院」、病気の者を収容し病気を癒す「療病院」、身寄りのない者や年老いた者を収容する「悲田院」の四箇院が設けられている。 その後、幾度の戦禍と災難によって伽藍は焼失へ。 現在の伽藍は昭和38年(1963)、当初のものを厳密に再興したものだそうだ。 全敷地面積33,000坪、甲子園球場の3倍の広さをもつ四天王寺の境内には、聖徳太子を祀っている「太子殿」や、近畿三十六不動尊第一番の霊場の「亀井不動堂」、日本庭園の「極楽浄土の庭」など、たくさんの見どころが。また毎年4月22日、聖徳太子を偲んで行われる「聖霊会舞楽大法要」では、「天王寺舞楽」が舞われている(国の重要無形民俗文化財)。

太融寺
嵯峨源氏の祖で左大臣・大納言の源融(みなもと・の・とおる)ゆかりの寺で、大阪市北区に伽藍を構える真言宗(高野山真言宗・準別格本山)の寺院。山号は「佳木山」、院号は「宝樹院」。

鶴満寺
大阪市北区にある天台真盛宗寺院。

水間寺
大阪府貝塚市にある天台宗別格本山の寺。水間観音の通称で知られる。本尊は聖観世音菩薩。

道成寺
和歌山県日高郡日高川町にある天台宗の寺院。新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所である。道成寺創建にまつわる「髪長姫伝説」(「宮子姫伝記」)や、能、歌舞伎、浄瑠璃の演目として名高い、「安珍・清姫伝説」で知られる。この伝説は、平安時代中期に編纂された『大日本国法華験記』にすでに見える古い話である。 拝観の際には縁起堂で「安珍清姫」の絵巻物を見せながらの絵説き説法が行われる。

御衣寺宝亀院
宝亀院は、弘法大師空海のひらいた真言宗の本山たる高野山に存する一寺院であり、重要文化財である十一面観音像、弁才天像(いずれも弘法大師作)をはじめ古文化財を数多く蔵している。
長岡京市の他のスポット
この市区町村をすべて見る細川忠興と細川ガラシャ
細川 忠興は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。丹後国宮津城主を経て、豊前国小倉藩初代藩主。肥後細川家初代。細川ガラシャは、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。明智光秀の三女で細川忠興の正室。
光明寺
西山浄土宗の総本山光明寺は、京都府長岡京市粟生にある寺院です。 法然上人のありがたい教えに歓喜し弟子となった熊谷蓮生は、 数年の修業の後にこの地に「念仏三昧院」を建てました。 法然上人の死後、棺は転々と移されましたが、 ある時、上人の棺からまばゆい光明が発せられ、粟生野を照らすということが起こりました。 すぐに粟生野へ棺を移し、寺の裏山にご芳骨を納め御廟堂を建てました。 そのことを聞いた四条天皇は、光明寺の名前あたえたといわれています。 境内の参道両側にあるもみじは秋の見ごろの季節には真っ赤に染まり、もみじの名所として多くの人が訪れます。
長岡天満宮
この地は菅原道真が在原業平らとよく詩歌管弦を楽しまれていた場所です。 菅原道真が太宰府へ左遷させられる際に、この地に立ち寄り「わが魂長くこの地にとどまるべし」と名残惜しまれたと言われています。 道真の死後、菅原氏一族の中小路宗則が道真公御自作の木造を祀ったことが長岡天満宮の始まりと言われています。 現在の社殿は昭和16年に平安神宮の社殿を移築したもので、 寛永15年(1638)には八条宮智仁親王によって「八条が池」が築造されました。 元は10万余坪の広大な敷地でしたが、明治維新の変革に際し上地したため、現在は2万余坪となっています。 春になれば「{p_spot-12036-八条が池}」の中堤両側の霧島ツツジが見事に咲き誇り、その真っ赤に敷き詰められたツツジは他では見られない素晴らしい姿です。 この霧島ツツジを見るために、他の都道府県からもたくさんの観光客が訪れます。
