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ゆかりの人物
位置情報
詳細説明
西の石鳥居をくぐる前に、見上げてみてください。掲げられた額には、ここが極楽浄土のの中心にあたる、という意味の文字が刻まれています。中世以降、四天王寺の西門は極楽への入口と信じられ、春と秋の彼岸の中日には、鳥居の真西に沈む夕日を拝んで極楽を想う「日想観」に多くの人が集まりました。その営みは今も続いています。 四天王寺は、蘇我氏と物部氏が争ったとき、聖徳太子が四天王に勝利を誓い、その願いがかなって建てたと『日本書紀』に伝えられる寺です。推古天皇元年(593)に造営が始まったとされ、南から中門・五重塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ伽藍の並びは「四天王寺式」と呼ばれます。発掘調査で、堂塔の位置が創建のころからほとんど変わっていないことが分かっています。 ただ、建物は何度も失われてきました。昭和9年(1934)の室戸台風で五重塔が倒れ、昭和20年(1945)の大阪大空襲では伽藍の大部分が焼けています。いまの中心伽藍は、戦後に創建当時の様式にならって建て直されたものです。空襲を逃れた六時礼讃堂などは元和9年(1623)の建物で、国の重要文化財。石鳥居はさらに古く、はじめはの鳥居だったものを、永仁2年(1294)に石造りに改めた、寺でいちばん古い建造物です。 戦後は天台宗から独立して和宗の総本山となりました。本尊は金堂の救世観音です。毎月21日と22日は縁日で、境内に露店が並びます。 大阪七福神の布袋尊は、石鳥居と極楽門のあいだ、参道の南側に建つ布袋堂にまつられています。「笑門来福」の神として参られるこのお堂は、俗に「乳のおんばさんのお堂」とも呼ばれ、子どもの健やかな成長や乳の出を願う人が訪れます。戌の日の安産祈願に授かるも、ここで受けることができます。










