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この市区町村をすべて見る閑谷神社
{歴史} 閑谷神社は、備前藩主・池田光政公が学校を設立し、その霊と像を安置して「芳烈祠」と称したことに始まります。創建は寛文年間と伝えられ、明治8年に県社に指定されました。拝殿、幣殿、本殿が前後に並び、西庭に神庫と繋性石が配置されています。本殿は入母屋造りで、内部には竿縁天井と拭板敷があり、光政公の金銅製座像が安置されています。昭和13年には社殿8棟が国指定の重要文化財として認定されました。 {見どころ} 閑谷神社の見どころは、学校創設者である池田光政公を祀るために建てられた本殿です。内部には光政像が輝く様子が見られ、聖廟に対して一回り小さく、1m低く建てられた建物が東御堂と呼ばれています。この東御堂は、光政公が孔子に対して「礼」を尽くしたことを表しており、歴史と教育の重要な要素がここに詰まっています。
旧閑谷学校(閑谷学校)
岡山藩主池田光政によって開設された日本最古の庶民学校である。藩士のための教育施設(藩校)「岡山学校」に続き、岡山藩立の学校として開かれた。建築には32年の月日を費やしており、他に例をみない手間隙かけた質とスケールを誇り330余年の歴史をもっている。地方の指導者を育成するために武士のみならず庶民の子弟も教育した。また、広く門戸を開き他藩の子弟も学ぶことができた。就学年齢は8歳頃から20歳頃までであった。カリキュラムは1と6の付く日には講堂で儒教の講義があり、5と10の付く日は休日となっているなどであった。頼山陽などの著名人も来訪し、幕末には少年時代の大鳥圭介もここで学んだ。 岡山藩は学校領を設け藩財政より独立させ、学田や学林を運営させた。これにより、もし転封や改易により藩主が交替となった場合においても学校が存続するよう工夫した。ここに岡山藩がこの学校をいかに重要視していたか、その一端が窺える。
講堂
聖廟
備前市歴史民俗資料館
岡山県備前市、備前焼で知られる備前市にある『備前市歴史民俗資料館(びぜんし れきしみんぞくしりょうかん)』は、備前焼を学ぶ、備前市の歴史を知る、文化のまち備前の4つのテーマを基本理念として開館。地域の歴史・民俗資料を収集・保存・展示する施設。 館内では、備前市内の遺跡から出土した資料、お歯黒関係資料、備前地区の発展を支えた耐火煉瓦関係資料など、地域の歴史や発展がわかる貴重な資料を多く展示。 また江戸時代から昭和の初期頃まで使用された、人々の生活になくてはならなかった生活用具や、農耕具、漁具を展示する「民俗資料室」を併設。他にも自然主義作家の《正宗白鳥》、「眠狂四郎」で人気作家となった《柴田錬三郎》、罪な女」で直木賞を受賞した《藤原審爾》など地元出身の作家を紹介するコーナーもあります。
岡山県備前陶芸美術館
岡山県備前市にある『岡山県備前陶芸美術館(おかやまけんびぜんとうげいびじゅつかん)』は、昭和47年(1972)に創立。約千年の長い歴史をもち日本六古窯の一つとして知られる「備前焼」の古備前から現代に至る作品および資料を収蔵・展示する施設。 「備前焼」は、平安時代に作られた須恵器から発展。鎌倉時代初期には焼き締め陶が焼かれ、後期になると酸化焔焼成による現在の茶褐色の陶器が誕生。当時の主力は水瓶や擂鉢が多く「落としても壊れない」と人気があった。また当時の作品は「古備前」と呼ばれ珍重されている。 館内には、5人の人間国宝を輩出した歴史をもつ「備前焼」の資料及び、代表的な作品や、採土から窯出しまでの制作の工程や多彩な窯変などについて分かりやすく紹介。また現役作家による新作展示会を年5回開催。備前焼の普及と振興を図り、地域文化の向上に寄与する活動を積極的に行う施設となっている。
