京都市中京区
「京都市中京区」のスポット一覧
新徳寺
幕末、将軍を警護する目的で集められ、上洛した浪士たちを率いていた清河八郎は、本陣とするこの寺で尊王攘夷論を説きました。 「話が違うではないか」と清河の画策に意を反した近藤勇、芹沢鴨らはその場で離反することとなります。 近藤、芹沢らは、壬生浪士組として京に残り、後に新選組となります。
木戸孝允(桂小五郎)邸跡
桂小五郎のちの木戸孝允が終焉を迎えた邸宅跡です。 彼は、長州藩の一角を担い、明治維新後には新政府の役職に就いていました。 この地は、明治2年に公卿であった近衛家の旧宅を譲り受けた木戸が構えた別邸でありました。 現在では、「石長松菊園」という旅館になっています。その入り口に木戸孝允邸跡の石碑があります。
長州藩屋敷跡
関が原の戦いで西軍についたことにより、毛利家は減封され、居城を日本海側の萩にと指定されました。この急激な石高の減少により、多くの藩士を抱える長州藩は財政困難となります。こうした苦しみから、長州藩は根強い反幕の精神が芽生えることとなりました。 この困難を打開策として、藩主は人材の育成と産業の振興に力を入れます。 幕末に…
古高俊太郎邸跡碑
尊王攘夷の志士たちを支援していた古高俊太郎の邸宅跡です。 古高は、「枡屋喜右衛門」と名乗り、商いをする傍ら、尊王攘夷志士に武器を提供していました。 彼が新選組に捕縛され、計画を自白したことから「池田屋事件」へつながったとされています。 現在その場所は、料亭「志る幸」となっています。
旧前川邸
向かいにある八木邸とともに、新選組の屯所となった屋敷です。 池田屋事件に関わっていた古高俊太郎を拷問したとされる蔵や新選組の総長であった山南敬助が切腹した間が現存しています。 しかし、住居のため、一般公開はされておらず、土日祝日限定でグッズを販売していらっしゃいます。
佐久間象山 大村益次郎遭難の碑
元治元年7月11日の夕暮れ、開国論者であった佐久間象山が攘夷派の志士の一人、河上彦斎によって暗殺された跡地です。 また、明治2年9月4日には、当時あった旅館の奥座敷で長州藩士・大村益次郎が不平派士族に襲われた事件跡地でもあります。
くろちく百千足館
キンシ正宗 堀野記念館
伏見の名水「常盤井水」が湧き出ています。 「常盤井水」は「京仕込キンシ正宗」に活かされています。
島津製作所 創業記念資料館
矢田地蔵尊(矢田寺)
京都芸術センター
友禅体験工房 丸益西村屋
錦天満宮
新風館
紫雲山頂法寺(六角堂)
新撰組屯所跡・壬生郷士八木邸
後に新選組となる近藤勇らの初めての屯所です。 この八木邸を屯所とした彼らは、会津藩から新選組の名を拝命するまでの間、地名にちなんで壬生浪士組と名乗っています。新選組として世に名を馳せるまで、近隣の人々からは「壬生に住む狼」=「みぶろう」と呼ばれていたこともあります。 八木家は壬生の郷士であり槍などの武器揃っていたため…
元・立誠小学校
1993年に閉校た元・立誠小学校跡地。 高瀬川にかかる石橋を入口として、アーチ型の玄関や装飾を施したバルコニーなどの意匠を凝らした外観、漆喰の壁に木の床が趣き深い校内など、芸術性の高い建物として今ではイベントの会場として利用されています。 明治30年、稲畑勝太郎がヨーロッパから今でいう映画、シネマトグラフと呼ばれた最…
土佐稲荷(岬神社)
木屋町から河原町へ抜ける路地の途中、ビルに囲まれた小さな境内が岬神社です。「土佐稲荷」の名でも知られています。 始まりは室町時代の初め、の岬のように突き出した場所に祠が建てられたことで、岬神社の名はここから来ています。江戸時代の初めに、近くに置かれた土佐藩の京屋敷の中に移され、稲荷の神である倉稲魂命をまつることから土…
