位置情報
詳細説明
橋の四隅で、口を開けたライオンと閉じたライオンが2体ずつ、行き交う人を見下ろしています。難波橋が「ライオン橋」と呼ばれるのはこの阿吽の石像のためで、大阪を拠点に活動した彫刻家の作。2015年に大阪市の有形文化財に指定されました。 難波橋は堺筋が土佐堀川と堂島川をまたぐ橋で、中之島をはさんで長さは約190メートル。天神橋・天満橋とともに「浪華三大橋」と呼ばれてきました。ただし、江戸時代の難波橋は今の場所にはありませんでした。一筋西の通りに架かる木橋で、寛文元年(1661)に幕府が管理する公儀橋となり、大きく反った橋の上は花火見物や夕涼みの一等桟敷としてにぎわいました。市電を堺筋に通すため、大正4年(1915)に現在の位置へ架け替えられたのです。西隣の通りに「難波橋筋」の名が残るのは、橋がそこにあった時代の名残です。 高欄には大阪市章の澪標(みおつくし)が組み込まれ、橋の中ほどから石造りの階段で中之島公園へ降りられます。そしてこの橋と同じ寸法のライオン像が、大阪のほかににも1体だけあることが知られています。





