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龍門滝

龍門滝(りゅうもんだき、りゅうもんのたき)は、九州南部を流れる網掛川中流にある高さ46メートル、幅43メートルの滝であり鹿児島県姶良市加治木町に位置する。日本の滝百選に選ばれている。中国の龍門瀑に似ていることから龍門滝と名付けられた。藩主島津忠恒の和歌に詠まれたり、橘南谿の『西遊記』において賞賛を受けるなど薩摩藩内随一の名滝として知られ、儒者の安井息軒もここを訪れている。加治木城主の島津久徴が滝近くの丘に建てさせた観音像が今も残されている。

大口筋白銀坂

大口筋白銀坂のある旧街道が通る山並みは、古代における薩摩国(鹿児島市側)と大隅国(姶良市側)の国境でした。また、戦国時代には、島津貴久や島津義弘などの武将たちがこの坂に陣を構えたといわれています。白銀坂は、姶良市脇元から鹿児島市牟礼ヶ岡までの石畳の坂道です。 ちなみにこの坂のある山並みは、古代~近世における薩摩国と大隅国の国境でした。戦国時代には、島津貴久や義弘といった武将たちが、この坂に陣を構えて、蒲生氏と対峙したといわれています。 江戸時代に入ると、白銀坂は鹿児島藩の主要街道である「大口筋」として整備され、藩内随一の難所として人々に知られていました。そして白銀坂は今でも昔の面影をよく残しています。

南浦文之墓

南浦文之は、1555年に日向の串間に生まれ、6歳の時に真言宗延命寺の天沢和尚に師事し、13歳で串間の禅宗龍源寺に入り、桂庵禅師の孫弟子に当たる一翁に師事しました。15歳の時京都の臨済宗東福寺に上がり、10年の修行の後、帰郷して龍源寺などの住職を務めその学識は島津家16代当主島津義久に認められ、国分の臨済宗正興寺と加治木の安国寺の住職となりました。 以後、義久、義弘、家久の3代に仕え、儒学を講じる一方、外交や文教の顧問として重要な役割を担った。朱子学にも秀で、『南浦文集』などを著したほか、『四書集注』など漢籍に訓点をほどこし、1620年(元和6)、66歳で亡くなりました。 加治木の安国寺に葬られ日本儒学の発展に貢献した人物の墓として、1936年(昭和11)に国の史跡に指定されました。 ,

蒲生のクス

蒲生のクスは蒲生八幡神社境内にあります。推定樹齢1、500年、根回り33.57m、目通り幹囲24.22mで、幹の基部は凹凸が多く、幹の内部には直径4.50m(タタミ8畳敷分)の空洞があります。枝葉は四方に勢いよく生い茂り壮観な姿を見ることができます。国の特別天然記念物に指定されています。 蒲生のクスは蒲生八幡神社が建立された1123年にすでに大木であったことから考えても、樹齢千年を超える堂々たる老木です。樹根部分には、大きな空洞があり、下から見上げる壮大さと、地にどっしりと根をはった力強さは、神秘的で不思議な感覚を抱かせてくれます。毎年11月第3日曜日には秋まつりが開催され、太鼓演奏の音が周囲に響きわたります。

蒲生八幡神社

蒲生八幡神社(かもうはちまんじんじゃ)は鹿児島県姶良市蒲生町上久徳にある神社です。蒲生八幡神社は、蒲生家初代の上総介舜清が、保安4年宇佐八幡宮を勧請して、現在地に建立したものです。島津義弘公は当社を厚く崇敬し、社殿を再興して、正八幡若宮の額を掲げ、太刀・甲冑・宝器を寄進したと言われています。 旧県社で社宝の銅製秋草双雀文様鏡は国の重文です。境内に日本一の大楠があります。近年はパワースポットとして人気があります。昭和60年(1985年)、台風13号の被害により社殿は大破し、現在の社殿はその後再建したものです。また、台風被害の翌年から「蒲生八幡神社」と改名しました。そして2008年頃から社務所を鳥居の近くより社殿左に移転しています。

蒲生ふるさと交流館

蒲生ふるさと交流館は地域の交流拠点の場としてオープンしました。 館内は、「交流室」「展示室」「資料室」「廊下ギャラリー」に分かれており、入場無料です。多目的スペース「交流室」では、コンサートや各種講座などが催されており、団体による占用利用もできます。 誰でも利用できる多目的スペース「交流室」では、コンサートや各種講座などが催されており、団体による占用利用もできます。(利用料が発生します。)また、絵本コーナーでは家庭で読まれなくなった絵本を集め自由に読むスペースや蒲生で行われている国際交流の展示コーナーがあります。 「廊下ギャラリー」では、絵や写真などを展示し、個展などの開催も可能です。 「ふるさと資料室」では、地域の昔から使われてきた農機具などをアレンジして展示しています。

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