十六羅漢
21体の石仏群を残す公園
位置情報
詳細説明
江戸時代、盛岡藩の四大飢饉といわれる元禄・宝暦・天明・天保の大凶作によって、多くの餓死者がでました。 その悲惨な餓死者を供養するために、十六羅漢と五智如来の合計21体の石仏を建てました。 石仏のある宗龍寺は明治維新後に廃寺となり,1884年(明治17年)の大火で寺院も焼失しました。 現在は21体の石仏群を残す,市の公園となっています。
21体の石仏群を残す公園
江戸時代、盛岡藩の四大飢饉といわれる元禄・宝暦・天明・天保の大凶作によって、多くの餓死者がでました。 その悲惨な餓死者を供養するために、十六羅漢と五智如来の合計21体の石仏を建てました。 石仏のある宗龍寺は明治維新後に廃寺となり,1884年(明治17年)の大火で寺院も焼失しました。 現在は21体の石仏群を残す,市の公園となっています。