棚田嘉十郎の像
学者でも役人でもない一人の職人が、田畑になっていた都の跡を守りました。
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位置情報
詳細説明
平城宮跡の朱雀門のそばに、一人の男の像が立っています。奈良の小学生なら誰もが習う、平城宮跡を守った人、棚田嘉十郎です。 嘉十郎はを本業とする人でした。明治29年(1896年)12月、知人に連れられて平城宮の大極殿跡の土壇を訪ねた嘉十郎は、かつての都の中心が農家の牛をつなぐ場所になり、糞が山のように積まれているのを見て涙を流したと伝えられます。 以来、嘉十郎は平城宮跡の保存に生涯を捧げます。明治39年(1906年)には自ら発起人となって「平城宮阯保存会」を組織し、私財を投じて政財界に陳情を重ね、同じ志をもつ溝辺文四郎らと協力して跡地を守る運動を進めました。しかし運動のなかで深刻な問題に巻き込まれ、大正10年(1921年)8月、自らの潔白を示すために命を絶ちます。 その翌年の大正11年(1922年)、平城宮の第二次大極殿・朝堂院跡は国の史跡に指定され、昭和27年(1952年)には特別史跡となりました。嘉十郎が涙を流した土壇は、いま特別史跡平城宮跡の一部として守られています。




