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ゆかりの人物
位置情報
詳細説明
興福寺には、境内を囲む塀がありません。明治の初め、寺は廃仏毀釈と上知令によって堂塔以外の寺地をすべて没収され、明治13年(1880)にその旧境内がとなったからです。鹿が歩く公園の芝生と境内が地続きになっているのは、そのためです。 寺の始まりは京都の山科にあります。天智8年(669)、が重い病にかかったとき、夫人の鏡女王が回復を願って山階寺を建てました。寺は飛鳥へ移って厩坂寺と呼ばれ、和銅3年(710)の平城遷都とともに藤原不比等が現在の地へ移して興福寺と名付けました。藤原氏の氏寺として知られますが、五重塔は光明皇后、東金堂は聖武天皇の発願というように、主要な堂塔の多くは天皇や皇后が建てたものです。 治承4年(1180)の平重衡の兵火で全焼し、鎌倉時代に復興しました。享保2年(1717)の火災では中金堂をはじめ伽藍の西半分を失い、中金堂は文政2年(1819)に規模を縮めた仮堂が建てられただけでしたが、平成30年(2018)、およそ300年ぶりに再建されました。国宝の建物は北円堂・三重塔(鎌倉時代)と五重塔・東金堂(室町時代)の4棟。五重塔は天平2年(730)の創建後、5度の焼失と再建を経た応永33年(1426)ごろの建物で、2034年までの予定で修理中です。国宝館では、天平6年(734)に西金堂の八部衆として造られた三面六臂の阿修羅像が常時公開されています。法相宗の大本山で、世界遺産「古都奈良の文化財」の一つです。










