位置情報
詳細説明
正式には長等山園城寺。「三井寺」の通称は、境内に湧く霊泉を天智・天武・持統の三天皇のに用いたと伝わることから「御井(みい)の寺」と呼ばれたのが由来です。その泉は今も金堂の西側、重要文化財の閼伽井屋(慶長5年=1600)の中に湧いています。 寺のはじまりは壬申の乱(672)ののち、敗れた大友皇子の子・大友与多王が父を弔うために田園城邑を寄進して創建し、天武天皇から「園城」の勅額を賜ったことと伝えられます。9世紀後半、智証大師円珍が天台別院として中興し、10世紀末に延暦寺(山門)と分かれてからは寺門派の総本山となりました。東大寺・興福寺・延暦寺とともに四箇大寺の一つに数えられた大寺ですが、焼き討ちや寺領の没収など幾多の法難に遭い、そのたびに再興されたことから「不死鳥の寺」とも呼ばれます。 国宝の金堂は、豊臣秀吉に寺領を没収されて廃寺同然となった直後の慶長4年(1599)、秀吉の正室によって再建されました。内陣は床を張らない土間で、天台系の本堂の形式を伝えています。近江八景「三井晩鐘」で知られる鐘は慶長7年(1602)の鋳造で、日本三名鐘の一つと称され、いまも鐘楼に釣られています。霊鐘堂には傷跡の多い奈良時代の鐘が別にあり、弁慶が比叡山まで引きずったという伝承から「弁慶の引摺鐘」と呼ばれています。観音堂は西国三十三所の第十四番札所です。











