位置情報
詳細説明
松山市の中心にそびえる勝山の山頂に本丸を置く城で、天守はいまも江戸時代の建物が残る「現存12天守」のひとつです。 慶長7年(1602年)に加藤嘉明が築城を始め、およそ四半世紀をかけて寛永4年(1627年)に城郭が完成しました。嘉明のあとは蒲生忠知が入って築城を仕上げ、その断絶を受けて松平定行が伊勢桑名から入封します。以後、松平(久松)家が14代にわたって明治維新まで城主を務めました。 天守は天明4年(1784年)の元日にで焼失し、文政3年(1820年)から再建にかかって安政元年(1854年)に落成しました。黒船来航の翌年のことです。天守・小天守・櫓を渡櫓でつなぐ連立式で、姫路城と同じ構成をとります。三重三階地下一階の層塔型の天守で、瓦には徳川家ゆかりのが付けられています。 明治7年(1874年)に公園として公開され、大正12年(1923年)に旧藩主の久松家から松山市に寄贈されました。天守をはじめ多くの建物が国の重要文化財で、昭和27年(1952年)には城跡が国の史跡に指定されています。







