交野天神社
ふたりの天皇が重なる場所です。桓武天皇がここで天をまつり、その前の時代には継体天皇が樟葉で即位したと伝えられます。
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位置情報
詳細説明
社の名は「交野で天をまつった」ことに由来します。延暦6年(787年)の冬至、都を長岡京へうつしたばかりの桓武天皇は、この交野の地に壇を設けて天の神をまつり、そこに父であるを配してまつりました。中国の皇帝にならった「郊祀(こうし)」という儀式で、日本で行われた記録はごくわずかしかありません。 じつはこの丘には、それより270年ほど前の物語も重なっています。の三国から迎えられた男大迹王(おおどのおおきみ)は、507年に樟葉で即位して継体天皇となり、5年にわたってここに宮を営んだと伝えられます。拝殿の奥、石段を上った先の小丘に鎮座するのあたりが、その樟葉宮の跡と伝えられ、大阪府の史跡に指定されています。 本殿は応永9年(1402年)の一間社流造・檜皮葺で、大正6年(1917年)に国の重要文化財となりました。隣に並ぶ末社の八幡神社本殿も同じ形式の重要文化財です。 天をまつる壇と、天皇が即位した宮。どちらも建物は残っていませんが、静かな杜のなかに、その記憶だけが積み重なっています。
知って使える知識
- 郊祀壇があった場所は「交野柏原」と記録されており、片鉾の杉ヶ本神社と、この交野天神社が推定地とされています。
- 桓武天皇は枚方をふくむ交野郡でたびたび鷹狩りを行い、天の神をまつる儀式もこの地で催しました。

