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枚方市

✦ 大阪府📍 52件のスポット

「枚方市」のスポット一覧

釈尊寺

釈尊寺町という町名は、この寺から来ています。その本堂に、大阪府の指定文化財である木造釈迦如来立像が立っています。 この像には、はっきりした手本があります。京都・嵯峨の清凉寺の本尊、釈迦如来立像です。渦を巻く髪、両肩を覆って同心円のひだを描く衣――ひと目で分かる独特の姿をしていて、これをまねた一群をと呼びます。 なぜ、…

和田寺

禁野本町の住宅地のなかにある寺です。ここの木造薬師如来立像は、枚方市内に伝わる鎌倉時代の仏像のなかでも出来がよく、保存の状態もよいものとされています。 檜(ひのき)を使った割矧造(わりはぎづくり)。一度彫り上げた像をいったん割って、中をくりぬき、また合わせる技法です。像高は98.5センチ。平成9年(1997年)4月1…

浄念寺(枚方市)

枚方宿の通りから一本入った三矢町に建つ寺です。ここには、もともとこの寺のものではなかった仏像があります。 木造不動明王立像。檜(ひのき)の寄木造で、像高は96.3センチ。鎌倉時代の前期につくられたものと考えられています。 この像はもと、のものでした。明治3年(1870年)、その寺が廃寺になったときに、鐘楼などとともに…

厳島神社(枚方市尊延寺)

京都府との境に近い、尊延寺の集落に建つ神社です。訪ねたら、本殿ではなく、境内のすみにある小さな社を見てください。 春日神社本殿といいます。国の重要文化財に指定されているのは、この末社のほうです。指定は昭和53年(1978年)5月31日。 つくりは、屋根は檜皮葺き。正面の柱と柱のあいだが一つだけの、いちばん小さな流造で…

正俊寺

長尾の丘にある曹洞宗の寺です。江戸時代にこのあたりを領した久貝正俊が亡くなったあと、子の正世が父を弔うために建てた菩提寺でした。建てられたのは17世紀の半ばです。 境内に、石造の十三重塔が立っています。高さおよそ4.36メートル。風化が進んで表面は荒れていますが、軸の部分に「嘉暦二年」――西暦1327年の年号が刻まれ…

光善寺(出口御坊跡)

文明7年(1475年)、本願寺八世の蓮如はを退去し、船と陸路を継いで、9月5日に河内国茨田郡中振郷出口村――いまの枚方市出口に移ってきました。 その村で蓮如を迎えたのが、御厨石見入道光善(みくりや いわみにゅうどう こうぜん)という門弟です。草庵を建てて蓮如を支え、その人の名がそのまま寺の名になりました。光善寺です。…

禁野車塚古墳

天野川を見おろす段丘のへりに、細長い丘があります。です。北へ3キロほどの牧野にも同じ「車塚」の名を持つ古墳があり、枚方にはこの二つが残っています。 墳丘は二段に築かれ、主軸はほぼ東西。全長120メートル、後円部の直径63メートル、前方部の幅55メートル。後円部の高さは9メートルあるのに、前方部は3.4メートルしかあり…

枚方市市民の森

鏡伝池(きょうでんいけ)という池を中心にした緑地です。正式には鏡伝池緑地、ふだんは「市民の森」と呼ばれています。 園内は八つのゾーンに分かれています。花の森、せせらぎの森、トリムの森――名前のとおり、それぞれ性格が違います。一周するのに、そう時間はかかりません。 池には水辺の生き物や野鳥が集まります。カワセミが来るこ…

伝王仁墓

王仁(わに)博士は、応神天皇のころ、4世紀の終わりから5世紀のはじめに朝鮮半島の百済から渡ってきたと伝えられる学者です。を日本にもたらし、応神天皇の皇子であった莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)に学問を教えたとされ、漢字と儒教が伝わったはじまりとして語られてきました。 けれども、ここが王仁の墓とされるようになったのは、…

御殿山神社

御殿山神社は、枚方の市街を見おろす丘の上に建っています。祭神は八幡大神。 この一帯には、平安時代に「渚院(なぎさのいん)」という別荘がありました。主は。文徳天皇の第一皇子でありながら、権力者だった藤原氏を母方に持つ弟に皇位をゆずらなければならなかった人です。『伊勢物語』では、この人と親しかった在原業平らが交野ケ原へ狩…

楠葉台場跡

幕末の淀川のほとりに、洋式の砲台が築かれました。外国の脅威と尊皇攘夷派の動きから京都を守るため、京都守護職だったの建言にもとづいて、江戸幕府が慶応元年(1865年)につくったものです。 用いられたのはと呼ばれる西洋の築城技術でした。壁の外側に突き出た部分をもうけることで大砲の死角をなくし、正面から攻めてきた敵を両側か…

尊延寺

枚方の東のはずれ、尊延寺という集落に高野山真言宗の寺があります。地名がそのまま寺の名です。 この寺の本尊は、一体の仏ではありません。――中央に大聖不動明王、そのまわりに降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の四明王が立つ、密教の守りの仏の勢ぞろいです。等身大でこれだけそろって伝わっている例は、全国でもそう多くありません。 …

中宮平和ロード

枚方市の「平和の日」は、8月15日でも8月6日でもありません。3月1日です。 昭和14年(1939年)3月1日の午後2時45分、陸軍の禁野火薬庫で、第15号倉庫でのの最中に火が出ました。火は中の弾薬に燃え移り、大爆発が起こります。爆発は午後7時までに29回を数え、火が収まったのは3月3日のことでした。死者94人、負傷…

禁野本町遺跡

同じ場所を掘ると、奈良時代の木簡と、昭和のが出てきます。 禁野本町遺跡は、南の百済寺跡から続く土地に広がる遺跡です。奈良時代から平安時代前期にかけて、大型の掘立柱建物を含む建物群、井戸、道路の跡が広い範囲で見つかっています。 いちばん驚くのは、道路の見つかり方です。百済寺跡の伽藍の中軸線をまっすぐ北へ延ばした南北道路…

田中家鋳物工場跡地

ここには、もう建物がありません。あったものは、市内の別の場所へ引っ越していきました。 枚方上之町のこのあたりに、鋳物師・田中家の鋳物工場と主屋が建っていました。田中家は江戸時代、河内国左右惣官鋳物師として河内じゅうの鋳物師を束ねた家です。北河内では唯一、鋳物師職の許状を受けていました。つくっていたのは鍋や釜、農具とい…

観音山公園

香里ケ丘の高台にある公園です。園内にはソメイヨシノやシダレザクラ、モミジが植わり、季節ごとに表情が変わります。 そして、牛のかたちをした大きな石があります。牽牛石(けんぎゅうせき)と呼ばれ、枚方市はここを「七夕スポット」のひとつとして案内しています。 天野川の流れるこのあたり一帯は、古く「交野ケ原」と呼ばれていました…

妙見山の煙突

香里団地の一角、上下水道局の妙見山配水池の敷地に、煙突が一本だけ立っています。まわりに工場はありません。煙突だけが残りました。 戦前、この丘の一帯は火薬の工場でした。昭和14年(1939年)に宇治火薬製造所の香里工場として動きだし、昭和17年(1942年)には東京第二陸軍造兵廠香里製造所として独立します。 この煙突は…

以楽公園

香里団地の住宅地のなかに、日本庭園があります。しかも、ただの庭ではありません。 設計したのは。京都・東福寺の方丈庭園を手がけた、昭和を代表する作庭家です。団地をつくるとき、住む人のための公園として池のある回遊式の庭が計画されました。名は「以楽苑」。 ところが、この庭は長いあいだ柵に囲まれ、手入れも十分ではないまま置か…

鋳物師・田中邸のむく

木を見るとき、たいていは幹や枝ぶりを見ます。この木は、葉を見てください。 枚方公園駅から東の高台に立つ大きなムクノキです。高さは21メートル、幹のまわりは5.4メートル、樹齢はおよそ600年といわれます。昭和45年(1970年)に大阪府の天然記念物に指定されました。 木が立っているのは田中家の屋敷です。田中家は河内枚…

万年寺跡

丘の名前だけが、寺の名前のまま残りました。 淀川ぞいの枚方宿を見おろす小高い丘、万年寺山。その名のとおり、ここには長松山万年寺という寺がありました。丘の名は寺から付いたのであって、寺が丘の名を借りたのではありません。 その寺が、明治のによって廃寺になります。そして明治42年(1909年)、空いたこの丘へが遷ってきまし…

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