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位置情報
詳細説明
朝鮮半島にあった百済という国は、7世紀に滅びました。その王族の子孫は日本へ渡り、朝廷からという姓を与えられます。難波からこの地に移り住んだ一族が、氏寺として建てたのが百済寺でした。奈良時代の後半、いまからおよそ1250年前のことです。 一族の名を高めたのは、陸奥守をつとめた百済王敬福(くだらのこにきし きょうふく)でした。東大寺の大仏をつくるとき、その地で採れたを朝廷に差し出し、その功によって河内守に任じられます。一族がこの地に移ってきたのは、それがきっかけだったと考えられています。 三度の発掘調査で、境内のすがたもわかってきました。一辺140メートルほどの正方形を築地(ついじ)の塀がめぐり、南門・中門・金堂・講堂・食堂が中軸線上にきちんと並びます。中門から伸びた回廊の内側には、東西に2つのが向かいあって建っていました。左右対称に2つ置くこの配置は、当時の日本ではめずらしいものです。 昭和16年(1941年)に国の史跡、昭和27年(1952年)には特別史跡に指定されました。令和6年度に中心建物の基壇や塀の復原整備が終わり、いまは芝生の広がる史跡公園として歩けます。「百済寺跡の松風」として枚方八景のひとつにも選ばれた、松の音の気持ちのよい場所です。
知って使える知識
- 中門跡と金堂跡の看板にあるQRコードを読み取ると、創建当時のすがたを三次元のARで見られます。視点の高さや天候、季節を変えて眺めることもできます。



