禁野本町遺跡
奈良時代の計画都市の跡。同じ土から、木簡と砲弾が出てきます。
位置情報
詳細説明
同じ場所を掘ると、奈良時代の木簡と、昭和のが出てきます。 禁野本町遺跡は、南の百済寺跡から続く土地に広がる遺跡です。奈良時代から平安時代前期にかけて、大型の掘立柱建物を含む建物群、井戸、道路の跡が広い範囲で見つかっています。 いちばん驚くのは、道路の見つかり方です。百済寺跡の伽藍の中軸線をまっすぐ北へ延ばした南北道路と、それに直角に交わる東西道路。その交点をと呼びます。そして交点を境にした北東・南東・北西・南西の四つの区画で、見つかる遺構の性格がそれぞれ違っていました。行き当たりばったりに家が建ったのではなく、はじめから区画を決めて町がつくられていたということです。 この町をつくったのは、南の寺を建てたのと同じだと考えられています。寺と町が、一本の線でつながっていたわけです。 そして時代が下って、同じ土地に陸軍の禁野火薬庫が置かれました。発掘では火工場の跡や軽便軌道、薬莢や煉瓦も出ています。奈良時代の計画都市と、昭和の火薬庫。ひとつの土に、二つの「国家の事業」が重なっています。
