光善寺(出口御坊跡)
蓮如が身を寄せた村。ここを拠点に、摂津・河内・和泉へ教えが広がりました。
位置情報
詳細説明
文明7年(1475年)、本願寺八世の蓮如はを退去し、船と陸路を継いで、9月5日に河内国茨田郡中振郷出口村――いまの枚方市出口に移ってきました。 その村で蓮如を迎えたのが、御厨石見入道光善(みくりや いわみにゅうどう こうぜん)という門弟です。草庵を建てて蓮如を支え、その人の名がそのまま寺の名になりました。光善寺です。 山号は淵埋山(えんまいざん)といいます。変わった名ですが、由来ははっきりしています。です。二丁四方――一万四千四百坪の水面が、いまの本堂の下に埋まっていることになります。 御坊のまわりには門徒が移り住んで寺内町ができ、蓮如はここを拠点に摂津・河内・和泉で布教しました。 いまの伽藍は、天明2年(1782年)の御堂、天明7年(1787年)の太鼓楼、17世紀なかごろの山門、江戸時代中期の茅葺きの書院。真宗大谷派の寺として使われていて、内部は公開されていません。門の外から、御堂の大きさと山門の古さを見てください。 庭園の北のはしに、さいかちの古木が立っています。高さおよそ12メートル、樹齢200〜250年。大阪府の天然記念物です。この木には、蓮如の説法を聴いた池の主が救われ、池を譲ってこの木から天へ昇ったという伝説が残っています。埋められた池が、木のかたちで境内に残っているようなものです。
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