読み込み中...
「日本の世界遺産を巡る ─ 文化21・自然5の物語」の他のスポット
このテーマをすべて見る
姫路城
兵庫県姫路市(播磨国飾東郡姫路)にあった城。別名・白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう。詳しくは名称の由来と別名を参照)。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、建築物は国宝や重要文化財、城跡は国の特別史跡に指定されているほか、ユネスコの世界遺産に登録されている。

首里城
沖縄県那覇市首里にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあった城。

清水寺
清水寺は、京都市東山区清水にある寺院です。山号は音羽山、本尊は千手観音です。{p_thema-6-西国三十三箇所}観音霊場の第16番札所で、1994年には「古都京都の文化財」を構成する遺産として世界文化遺産に登録されました。 清水寺の始まりは、賢心という大和の僧が夢のお告げをもとに訪れた音羽山の滝で、行叡居士(ぎょうえいこじ)という老仙人で出会ったことから。賢心は行叡居士の言葉に従って、庵を結ぶことにしました。 2年後、鹿狩りをしに音羽山を訪れた坂上田村麻呂に対し、賢心は仏の教えを説きます。感銘を受けた坂上田村麻呂は後日寺院を建立し、「清水寺」と名付けたと伝わっています。 建立当初の清水寺は興福寺の末寺だったため、平安時代後期から鎌倉時代にかけて興福寺と延暦寺の抗争に何度も巻き込まれて焼討に遭いました。また室町時代には応仁の乱の影響で堂塔が全焼しており、現在に至るまで10回以上の火災に遭っています。現在見られる清水の舞台は、1633年に再建されたものです。 2011年からは保存のための工事が始まり、2017年に奥の院の修理が終わりました。歴史考証と化学分析をもとに、組物を極彩色に塗り直しています。その後、檜皮葺屋根の葺き替え工事と舞台の板の張り替え工事も完了し、現在は美しい姿を見られます。

東大寺
東大寺は、「奈良の大仏」として有名な盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とするお寺です。別名、金光明四天王護国之寺とも呼ばれています。 728年、聖武天皇が皇太子を供養するために建立した金鍾山寺(きんしょうさんじ)が東大寺の始まりです。741年に「各国に国分寺と国分尼寺を建立するように」との天皇からの勅令が発せられると、金鍾山寺は大和国の国分寺として金光明寺と呼ばれるようになりました。752年に盧舎那仏の開眼供養会が催された後、西塔・東塔・講堂などの造営が進み、少しずつ東大寺としての形が整っていきました。 東大寺の完成後は天災や火災などの影響で、修復を繰り返しています。現在の伽藍は1709年に再建されたものです。盧舎那仏を安置する大仏殿も何度か失われ、1567年の三好・松永の兵火では焼失してしまいました。三好・松永の兵火の後は仮殿が作られましたが、その仮殿も強風で倒れ、奈良の大仏は100年近く風雨にさらされていたと伝わっています。 東大寺の有名な行事は、毎年3月に行われる「お水取り・お松明」。2月の後半から始まる前行と合わせると、約1カ月にも及ぶ大規模な法会です。752年に始まってから、1200回以上1度も途絶えることなく続いている伝統行事です。

原爆ドーム
原爆ドームの名で知られる広島平和記念碑は、日本の広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑(被爆建造物)である。元は広島県物産陳列館として開館し、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、「二度と同じような悲劇が起こらないように」との戒めや願いをこめて、特に負の世界遺産と呼ばれている。

国立西洋美術館
現在は松方コレクションに加えてルネサンス期より20世紀初頭までの西洋絵画・彫刻作品の購入を進め、常設展示している。なかでも西洋のオールド・マスター(18世紀以前の画家)たちの作品を見ることができる美術館として、日本有数の存在である。「西美(せいび)」の略称で呼ばれることもある。
平泉町の他のスポット
この市区町村をすべて見る毛越寺
岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺院。開山は円仁(慈覚大師)と伝える。平泉中尊寺、松島瑞巌寺、山形立石寺と共に「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している。
観自在王院跡
毛越寺に隣接している。1189年(文治5年)以後は荒廃し、水田となっていた。数少ない平安時代の庭園遺構として評価されている。
無量光院跡
無量光院は、藤原秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院であった。当時は平等院の規模をも上回る煌びやかな寺院であったが、度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石が残るのみである。
金鶏山
中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置する、都市平泉の空間設計の基準となった信仰の山である。
夢館・奥州藤原歴史物語
奥州藤原氏4代の歴史と平泉文化が学べます。 音響と照明、そして精巧に再現された107体の蝋人形による30以上のシーン再現が見どころ。 時は1083年後3年の役で勝利した清原 家衡(いえひら)の死後、清原氏の所領は清衡(清衡)が継承することとなりました。 清衡は実父の姓である藤原を再び名乗り、藤原清衡のが奥州藤原氏の始まりです。 2代目は基衡(もとひら)、3代目は秀衡(ひでひら)です。 秀衡は源頼朝 に追われた 源義経を匿ったことでよく知られています。 4代目泰衡は源頼朝の命に背けず、源義経を引き渡してしまいます。 しかし、その後頼朝に「義経を匿った罪」として、奥州藤原氏は滅亡しました。
金色堂
岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の 仏堂として知られる『金色堂』。世界文化遺産『国宝第1 号』。名前の由来は、《柱、壁、床、天井、扉》など総漆塗り の上に布を張りさらにその上に金箔を張っていることから 『金色堂』と呼ばれています。 『金色堂』は、当時の奥州藤原氏初代『藤原清衡』が天治 元年(1124年)に建立。有名な『平等院鳳凰堂』と共に平 安時代の『浄土教建築』の技術を集めたものとして今では 『国宝』に指定されています。(★所有者は宗教法人金色院) 金色堂全体に48体の『漆の蒔絵』として描かれ、須弥壇内 部には『初代清衡公』『二代基衡公』『三代秀衡公』に 御遺体が安置され、中央に御本尊である阿弥陀如来を安置。 『観音菩薩、勢至菩薩、地蔵菩薩、持国天、増長天』な ど多くの仏像が並び今現在でも驚かされる文化を感じる事 が出来ます。
